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3/17後楽園ホール:DDT「Judgement2024〜旗揚げ27周年記念大会5時間スペシャル〜」観戦記

プロレスという、闘いでありながらも心温まるシーンがあったことをここにぜひ記したい。

第九試合 DDT EXTREME選手権試合
    <王者>勝俣駿馬vs<挑戦者>岡谷英樹
    身体に“刺さる”モノがリング上に用意され、相手を身体的に痛めつける道具(デスマッチアイテム)の使用が認められたハードコア、つまり流血が予想される試合形式で行われた二人の勝負。勝俣選手は、ラスト、コーナーからジャンプを決める前に、有刺鉄線?(遠目で確認はできなかったが、身体に刺さるモノ)が敷いてある面を表にして真ん中で二つ折りにし、リングに倒れている岡谷の身体の上にのせた。観客の一人が隣人に語りかける。「(勝俣選手と違って)有刺鉄線の面を全面相手の方に向けるヤツには、ハードコアをやる資格ないよな」

他の団体のことは知らないが、DDTのハードコアの見せ方は、仕掛ける方も痛みを受けるようにアクシデントを起こす。ハードコアなんて怖い、流血なんて見たくない、という向きも当然あるだろう。私も思わず目を手で覆ってしまい、その瞬間を見ることはできないクチだ。しかし、見ているお客さん達の日常こそ、どうだろう。ハードコア張り、もしかしたらハードコア以上に、心が血を流していることはないだろうか。(意識的にしろ無意識的にしろ)限界ギリギリでやり過ごす毎日だったりはしないだろうか?

そんな観客にとって、勝負を決めるまで痛みに耐え、血を流して闘い抜く彼らの姿、それは共感と慰めと明日も限界ギリギリで生きねばならぬ自分への励ましを与えてくれるものではないだろうか。勝俣選手、岡谷選手には、ありがとうの言葉しかない。

セミファイナル
KOUNOSUKE TAKESHITA vs 青柳優馬
    私はその瞬間を見逃した。しかし、それまでとそれ以後とではTAKESHITA選手の動きが明らかに違う。片方の腕がなんだか頼りなく肩からぶら下がって見える。それでも、青柳選手の攻撃は全く弛まない。「青柳選手、非情すぎる!」と思っていたが、そのうち一瞬彼がTAKESHITA選手に顔を寄せた。「?」と思っていたが、TAKESHITA選手はまるで何事もなかったように闘いを続け、最後にジャンピング・ニー・バットを決めて青柳選手を倒した。

これは私の勝手な推測に過ぎないが、青柳選手は(おそらく)通常ではない腕の状態になったTAKESHITA選手を思い、「最後をジャンピング・ニー・バットで決めよう」と提案したのではないか?

プロレスは技が凶器になるのではない。リングの上ではプロレスラーの身体自体が、あたかも一振(ひとふり)の日本刀のような凶器なのだ。だから、プロレスラー同士がぶつかり合えば、当然痛みを伴うはず。だからこそ、触れれば血の出る日本刀で演舞を行うのと同じように、お互いに怪我をしないよう「呼吸」を合わせることが必須なのだと思う。頭に血が上りました、だからやっちゃいました、では済まないからだ。

そして、スピードに乗って闘う選手達の呼吸の合わせ方が、常人には真似のできない絶妙なものであるからこそ「プロレスは芸術だ」という言葉が生まれたのではないかと、勝手に思っている。私はこれを既に引退された武藤敬司氏の言葉として書物で読んだ。まだプロレスを見始めたばかりの私だったけれど、その言葉に深く納得した。それがプロレスに惹かれた大きな要因の一つでもある。その後に続く選手の皆さんは、今、この言葉を聞いてどう思われるのか。私はとても興味がある。

第五試合
SCHADENFREUDE International vs DAMNATION T.Aでの
アントーニオ本多 vs KANON

試合が最後に近づいていることを、会場の誰もが感じていた。リングにはアントーニオ本多選手が残り、そこにタッチでKANON選手が入ってくる。その瞬間、全ての観客の気持ちを代弁するように誰かが呟いた「(アントーニオ本多選手は)死ぬな」

しかし、アントーニオ本多選手は死ぬどころではなく、ラスト、何回も何回も懲りずにKANON選手を丸め込んだ。しかしなかなか決まらない。もうそろそろ限界か?…と思われた瞬間にKANON選手が切り返し、座ったままコブラツイスト(これはコブラツイスト2.0だったのか?)を決めて試合終了。なんだか会場は温かい雰囲気になっていた。

これも私の勝手な推測に過ぎないが、この勝負の決め方は、お互いの間にプロレスラーとしてのリスペクトがあるからできたことだと思う。お互いの良いところを十分に観客にアピールして楽しんでもらいつつ、勝負はちゃんと決めた試合に見えた。

もちろん、試合というのは対戦相手や選手のコンディション、試合の条件等のよって内容は変わるものだ。ただ、私が思ったのはこういうことである。

互いへのリスペクトを試合の最中に表現できる競技は、おそらくプロレスだけだ。なぜなら、プロレスは勝ち負けに一番価値があるわけではないからだ。勝敗に至る、その過程の選手の取っ組み合いの内容に価値がある。倒されても倒されても立ち上がり、選手が限界でたとえ敗れても、そこまでやったんだからいいじゃないか、と敗れた選手に素直に拍手を送ることができるのがプロレスだ。強さや勝つことだけが価値ではないことを目の前で見せてくれる。それが、プロレスの良さであり、魅力だと思う。

選手がマットの上に投げ倒されると、ドーンという鈍い音が響く。私にはその音が、選手達の命の響きに聞こえる。どんな音楽よりも尊く美しく私には聞こえて、今日もプロレスから目を離すことができないのだ。

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